ANA  B-777-381(JA757A)

この機体はWi-Hiアンテナ装備機ですが、どれくらいの方が機内でWi-Hiを使用しているのですかね~?
空気抵抗が大きく、燃費も悪くなると思うのだが、それ以上の使用料収入があるのかな?。

案内所に帰り、公園案内図の写真を撮っているのでスマホでこの画面を見れるのかわかりませんが一応掲載しておきます。
なお、空華之塔は33番です。

今号は2016年12月10日撮影分のリポートをお送りいたします。


当日は2日間開催される那覇航空祭(美ら海エアーフェスタ)の1日目であり、例年であれば早朝から瀬長島に行きオープニング飛行の異機種編隊飛行や各機の着陸を撮影するのですが今年はオープニングフライトは無いので、今年こそ素直に那覇基地に朝から入場しようかとも思ったのですが、私がまず行った場所は・・・

航空自衛隊那覇基地幹部食堂

この写真は昨年の体験搭乗の時に撮影した写真で、白い塔が建っている付近に沖縄平和祈念公園があります。

南方航空輸送部戦没者慰霊碑説明板

インターネット航空雑誌 ヒコーキジャーナル第194号

川崎P-1

私にとっては2016年5月29日に行われた美保航空祭が46-5725の演技飛行を見た最後の日でした。 なお、飛行姿は撮っていませんでした。

航空祭に向かう前に、瀬長島から那覇空港第2滑走路建設現場が見える場所に行き撮影してきました。

ソラシドエア  B-737-86N(JA809X)  スポーツの聖地宮崎号

F-15J(12-8925)  第204飛行隊(那覇基地)

F-15J(42-8944)  第204飛行隊(那覇基地)

那覇方面に向かう途中、道路横にこういう施設を発見し、これは那覇航空交通管制部の庁舎かなと思い撮影しましたが、帰宅後調べてみると民間会社の衛星地上局の施設でした。

ひめゆりの塔を後にして那覇方面に向かいました。

ひめゆりの石像

んっ 左上に薄くひめゆりの塔と書いてあるぞ これがひめゆりの塔なのか?

大きく写っている写真を掲載してみましたが読めますか? ひめゆり部隊の一人の方の随筆だと思います。

2階からも景色を撮影できます。

航空関係の写真や資料もありますので、沖縄平和祈念公園に行った時は寄ってみてください。

山口県慰霊碑

台湾の塔の近くにこのような慰霊碑がありました。

霊域地区に入りました。 島守の塔と書かれており調べると、県庁職員で戦没した458人の慰霊碑とのこと。

園内のいくつかの場所に停留所がありそこに止まるのですが、運転手の方は案内もしてくれ、停留所ではないところでも止まって説明をしてくれたり、降りて景色も見せてくれます。
当日はこの車両が広大な公園で2台しか走っていないそうで、走って呼び止めなかったら30分ほど待たなければならなかったでしょう。

ある石碑のところに行きたいので案内所に行って聞くと、ここから遠い場所にあり、公園内を走っている車両があるのでそれに乗ってくださいとのこと。
外を見るとその車両が前を通過していたので、走って呼び止めてなんとか乗ることができました。

参観料がいるうえ航空関係の展示はないとのことで中に入りませんでした。

以前はこのような風景でした。

◎ 2016年沖縄撮影旅行 No.3

航空自衛隊那覇基地隊員食堂

ニュースの内容と少し離れてのプチ情報ですが、基地によっては同じ建物内に幹部食堂と隊員食堂がある場合もありますが、航空自衛隊那覇基地の隊員食堂と幹部食堂は数百m離れています。
それと、私は陸上自衛隊と航空自衛隊の食堂で昼食を摂ったことが何回かあるのですが、航空自衛隊の方が少し内容がいい料理でした(たまたまかもわかりませんが)。
海上自衛隊では食べたことはないのですが、護衛艦の食堂でアイスクリームを食べたことがあり、洋上でもお金を払えばアイスクリームを食べられると思いますので、私は自衛官にならなくてよかったと書きましたが毎日が過酷な勤務だけではないと思うので、若い方は職業として自衛官を目指してくださいね。

〇 P-1とC-2をニュージーランドへ販売交渉


2016年1月3日の日本経済新聞電子版によると、政府がニュージーランドとP-1及びC-2を輸出する交渉に入ったと報じました。
しかし交渉といっても、ニュージーランドの次期哨戒機及び輸送機の候補に勧めている段階ということではないかと私は思っています。
US-2のインドやインドネシアへの販売交渉は進展しておらず、P-1のイギリスへの販売も破れ、日本の航空機販売はうまくいかない傾向がありますね。
ニュージーランドにP-1が訓練で行っていた時に地震があり、被害状況をP-1で確認飛行したことはニュージーランド政府へのアピールになったし、10月にニュージーランドのC-130が小牧基地に部隊交流で飛来した時は隊員が岐阜基地でC-2を見学したとの報道もあるので可能性がゼロではないでしょうが、結果はP-8とC-130JあるいはA400Mの採用となるのでしょうね~。
私の予想が間違いになることを望んでいます。

〇 ブルーインパルス725号機退役


以前から退役の噂があったブルーインパルスT-4(46-5725)が2016年12月7日に退役していたことがわかりました。
46-5725号機は1994年1月頃初飛行と思われ、1995年7月30日に行われた松島航空祭でのT-4ブルーインパルス機のデビュー飛行でも飛んだ機体だと思われます。
現在までにブルーインパルス機となったT-4は13機で、3機が墜落、1機が東日本大震災による津波により用途廃止になっていますが、通常の退役機は初めてです。
以前ブルーインパルス関係者に聞いたところ、ブルーインパルス引退後は練習機になることはなく用途廃止になるとのこと。
よって、T-4の用途廃止機としても初の機体ではないかと思います。
那覇航空祭に来ておらず、まさかブルーインパルス本隊が那覇基地に飛来した12月9日の2日前に退役していたことは知りませんでした。
私は那覇航空祭でもブルーインパルス関係者に725号機について聞いたのですが、退役していたことは答えてもらえず、箝口令が出ていたのかもわかりません。
初期の機体は次々に退役していくと思われ、726・728・729・730・731号機を見たら多く撮影しておくことをお勧めします。
気になるのは46-5725号機がどうなるのかですが、私の予想ではT-2ブルーインパルス機(29-5176)と同じように松島基地で保管されて航空祭時に展示されるのではないかと思いますが、浜松広報館(エアーパーク)での展示ということもありえるかもわかりません。
725号機よ、過酷な飛行の連続で疲れていると思いますので、これからは私達航空マニアや子供たちを喜こばせながら地上でゆっくりお休みください。

46-5725号機よ 23年間お疲れ様でした。

私が46-5725号機の現役時代の最後の姿を撮影したのは2016年8月28日に行われた松島航空祭で、この時も予備機でした。(一番左の機体)

次に見た2016年8月7日に行われた千歳航空祭の時には予備機となっていました。

2015年9月12日には三沢基地に進入してくる同機を撮影していました。

2011年8月7日に行われた千歳航空祭の時に撮影した写真ですが、基本ブルーインパルスが演技をしている時は展示機の撮影に励むので、演技中の同機の写真はほとんどありませんでした。

1996年8月4日に行われた千歳航空祭の時の写真では、今は行っていない色付きのスモークを出しており、これも貴重な写真でしょう(東京オリンピックの時は色付きスモークで飛行するとの噂がありますが)。

私のフィルム写真のアルバムを見てみると、46-5725号機を初めて撮影したのは1996年7月28日に行われた松島航空祭の時でした。
この写真には格納庫の上の管制塔も写っており(使用されていないようですが)、貴重な写真でしょう。

ウミカジテラスと言うそうです。

この後レンタカーを返却し航空祭会場の那覇基地に向かったのですが、航空祭を編集し始めると相当時間がかかるので、今号はここまでとします。
次号の那覇航空祭の模様も見てくださいね。

瀬長島には多くのおしゃれな店ができています。

中国東方航空  A321-231(B-8172)   この機体は初撮影でした。

CH-47JA(52970)  第15ヘリコプター隊(那覇駐屯地)

頻繁に飛んでいたので、航空祭関連の飛行かな?

P-3C(5035)  第5航空隊(那覇航空基地)

セスナ560(JA560Y)  所有者:読売新聞東京本社・日本テレビ放送網  定置場:羽田空港

F-15J(52-8955)  第204飛行隊(那覇基地)

F-15J(02-8919)  第204飛行隊(那覇基地)

F-15J(22-8936)  第204飛行隊(那覇基地)

12時30分ころには戻ってきたのですが、航空祭には行かずまたもや瀬長島です。

沖縄戦とひめゆり学徒隊

近くにひめゆり平和祈念資料館というのがありましたが、航空関係の展示はないとのことなので見学はしませんでした。

この壕で私が記憶にあるのは、1975年7月17日に現天皇・皇后両陛下が皇太子・皇太子妃の時にひめゆりの塔を訪れた時に過激派が壕の中にひそんでいて火炎瓶を投げつけた事件です。
現天皇・皇后両陛下にお怪我はありませんでしたが、沖縄県警の大失態でしょうね。
このことを現地で聞こうと思っていましたがガイドや職員の方などはおらず、出たところにある花屋のおばちゃんに聞くと、数日前からひそんでいたとのことです。

ウィキペディアを見ていて知ったのですが、どうもこの碑が本当のひめゆりの塔のようです。 奥の大きな碑は慰霊碑で、納骨堂も兼ねているようです。
塔付近で説明する人はおらず、ひめゆりの塔を見に来た人はバスガイドさんがいない限り、この小さな本当のひめゆりの塔を見る人は少ないでしょうね。

塔の前にある壕の中に沖縄陸軍第三外科病院が設置され、この中にいたひめゆり女子学徒隊が1945年6月19日早朝アメリカ軍の攻撃により96名中47名がその日だけでお亡くなりになりました。
第一外科壕と第二外科壕にいたひめゆり女子学徒隊でも多くの方が亡くなっており、職員を含むひめゆり女子学徒隊240名中86パーセントの方がお亡くなりになったとのことです。
ひめゆり女子学徒隊は有名ですが、ほかにも「ずゐせん女子学徒隊」などもあり、これらもほぼ同様の運命をたどったとのことです(ウィキペディア参照)。

塔ですからもっと高い塔の碑だと勝手に想像していたのですが違いました。 せめてひめゆりの塔の文字はもっと濃く書いてほしいな。

他にもいくつかの石碑があります。

大きな碑の右下にある石碑にもひめゆりの塔と書いてあり、これがひめゆりの塔だと確信しました。

これは何の碑だあ~?

沖縄陸軍病院第三外科職員之碑

入口から少し歩くとこんな物が見えてきました。

先ほど行った沖縄平和祈念公園も初めて行きましたが、ひめゆりの塔も初めて来ました。

沖縄平和祈念公園を出て次の場所に行きました。

1階には図書館もあります。

1階では「ウチナーンチュが見た満州」という特別展示をしていました。

1階に降りようかと思っていると、展望エレベーターと書いた看板を見つけ上がってみました。

2階に上がり観覧料を払い見学して所々で撮影し終えたのですが、後で1階の展示場で撮影している時に警備員の方から撮影禁止と注意を受け撮影をやめました。
1階が撮影禁止なのかと思っていたのですが、編集する上でもしかしたら2階も禁止なのかもと思い電話で聞いてみると2階も撮影禁止とのことでした。
借用品があり権利関係で禁止にしているとのことで、接写ではない館内の雰囲気を撮った写真であればと掲載の許可を得たので、広角レンズでの雰囲気写真のみ掲載します。

1階は無料で見られますが、2階は有料です。

案内所から歩いてすぐのところにありました。

次の場所にに行こうと思っていると、案内所の職員さんから資料館があるということを聞き行ってみることにしました。

左奥の白い建物

10分ほど待つとバスが来たのですが4名の方々が乗っており、なんとか最後の席に座ることができました。 ゴールデンウィークや春休みなどは多くの方が来ると思うのだが、その時期も2台しかバスは走っていないのかな~?
夏に空華之塔まで歩けば死ぬ一歩手前になると思うのでご注意ください(笑)。
ここは案内の方によると、沖縄県内で掘り出された御遺骨を保管する施設と言っていたと思います(奥の建物)。

バス停があったので、帰るバスをここで待ちましょう。
ここにはトイレがあり休憩できるようになっているようですが自動販売機がありません。 夏は非常に暑くなり、ここまで歩いて来る人もいると思うのでせめて飲み物の自動販売機を置いてほしいです。
建物の影に置いていればすみません。

山口県出身の南方戦線戦没者だけで24447人の方々がお亡くなりになっており、中国戦線や北方戦線や私の祖父のように朝鮮半島で亡くなった者などは入っていないので、どれだけの方々が亡くなったのだろう。
調べてみると、第二次世界大戦で日本人が約262万人~312万人の方々がお亡くなりになっています。
世界全部でみてみると約6千万人~8千5百万人の方々がお亡くなりになっています。
人間以外の生物でもスズメ蜂がミツ蜂を大量に殺したり、大きな魚は小さな魚を食べて生き残っているので、生物というのは同種の生物を殺してでも生き抜いていこうとする生き物なのかな?
人間は蜂や魚より深く考えることができる大きな脳があるので、せめて日本だけでもこれからもそういう事が起きないようにしなければなりませんね。
某国の方々! 日本にちょっかいは出さないでね。

福岡県慰霊碑

大阪府の慰霊碑があり、他の慰霊碑と比べると敷地が広大でした。 大阪からも多くの兵隊さんが沖縄で戦ったのでしょうね。 

日本放送協会(NHK)の石碑がありました。 これも受信料で建てたの?

沖縄平和祈念公園には空華之塔を撮影しに来たのですが、他の航空関係の石碑も多く撮影できました。
他の航空関係の石碑については通りかかった場所にあったので撮影したもので、霊域地区には他にも多くの石碑があり、私が撮影した石碑以外の航空関係の石碑があるかもわかりません。
行かれる予定がある方は、事前に自分が行きたい石碑の場所を調べて行かれるといいでしょう。

ガラスが反射するので撮影しにくいです。

掲示板?

義烈空挺隊石碑入口右側に建っている石碑

義烈空挺隊石碑入口左側に建っている義烈空挺隊説明板

全日本空挺同志会について調べてみると、空挺OBと現役空挺隊員が会員になっている組織で、月刊誌「落下傘」を発行しているそうです。
私の同僚で第1空挺団OBの方がいるのですが、その方も入会しているのかな~?
なお、石碑の裏側は撮影していませんでした。 何も書いていなかったのかな~?

義烈空挺隊について調べてみると、1945年5月24日に沖縄にあるアメリカ軍が使用していた読谷飛行場に強行着陸し、航空機及び施設等を破壊する目的で結成された部隊で、九七式重爆撃機12機で熊本県の健軍飛行場から出撃しました。
結果としては引き返した機体も多く、向かった機体も多くの機体が強行着陸前に撃墜されましたが1機のみ強行着陸に成功、多くの航空機や燃料をに損害を与えたようです。
航空要員も着陸後は戦闘要員になったようで、引き返した機体の隊員以外は航空要員を含めて全員戦死したようです。
空挺隊というと落下傘部隊と思われるのですが、ウィキペディアによるとグライダーなどで降下し攻撃する部隊も空挺隊と呼ばれるそうです。
なんとも馬鹿げた攻撃ですが、日本軍としてはこんな攻撃しかできなかったのでしょうね。

空華之塔のすぐ横に台湾の塔がありました。
調べてみると2016年6月25日に竣工式が行われた新しい慰霊塔で、台湾出身の沖縄戦戦没者を慰霊する石碑で、建設場所は沖縄翼友会が提供したとのことです。

基部が飛行機の形になっていました。

敷地内にある旗の掲揚塔ですが・・・

裏側は石碑建立のため寄進者の名前が刻まれていました。

書は第67代内閣総理大臣の福田首相です。

次は空華之塔の右横に建っている石碑で、南方航空輸送部戦没者慰霊碑です。
南方航空輸送部について調べてみると、日本陸軍の南方総軍が創設した南方方面の航空輸送部隊で、本部をシンガポールに置き、支部は南方各地に18か所あったそうです。
最盛期は職員3500名、航空機350機で南方占領地域全域で航空輸送業務を行っており、最終的に職員2200名、航空機150機となり終戦を向かえたそうです。
ということは、南方航空輸送部の職員1300名がお亡くなりになったのかもわかりません。

裏側にはお亡くなりになった方々の名前が書かれているようです。

空華之塔説明板

沖縄翼友会のホームページでは寄付を募っていますので、沖縄翼友会の活動や空華之塔の維持管理に手助けしてあげようと思われる方は一度見てみてください。
ホームページには全国で行われた航空関係の事も掲載されており、戦艦ミズーリに体当たりした零戦主翼の一部が鹿屋航空基地史料館に2016年10月11日に寄贈された話や、大分県佐伯市で九七式艦上攻撃機のレプリカを製作していて、完成後は佐伯市平和祈念館やわらぎで展示したいとのことです。
変わったところでは、沖縄翼友会の方々や航空自衛隊員の方々が愛したスナックが閉店するという記事もありました。
既に閉店したようですが、知っていれば一度私も行きたかったです。

プロペラが載っていると航空関係の慰霊碑というのが一発でわかるし、沖縄戦や南方戦線で亡くなられた航空関係の方々も、創設された航空自衛隊の初期に多くのパイロットを育てた機体のプロペラが載っていることは皆喜んでいることでしょう。
私も死んだら墓の上に所有のプロペラを飾ってもらおうかな~ 小さな墓じゃあ縦に飾らないとだめだから不細工かな(笑)。

T-34Aは可変ピッチプロペラだったのですね。

裏側

帰宅後、私が写したT-34Aの写真で比べてみようと思ったのですが、すべてスピナーを装着したものばかりで比較しにくく、かつ展示機のプロペラは縦になっているのと少し斜めの位置になっている機体ばかりで、海上自衛隊小月航空基地の展示機を縦に撮った写真を横に掲載してみました。
比べてみると形状的にはほぼ同じなので、T-34Aのプロペラだろうと思っていたところ、沖縄翼友会のホームページを見るとプロペラ設置の経緯が書かれており、「昭和45年9月19日(1970):航空自衛隊第7航空団(百里基地)よりT-34メンター練習機のプロペラ1基の寄贈あり、日本航空整備、日航、南西航空の援助にて慰霊塔上部に設置。」とありました。
よってこのプロペラは航空自衛隊T-34Aのプロペラと断定できました。

形状からT-34A用のプロペラではないかと現地で思ったのですがわからず、帰る前に沖縄平和祈念公園案内所で聞いてみたのですがそこでもわからず、管理者に聞いて下さいとのことでした。

空華之塔で気になるのは上に載っているプロペラで・・・

空華之塔の裏には何も書かれていませんでした。

空華之塔(くげのとう)は、沖縄並びに太平洋航空戦に散華した先輩、同僚や、これらと運命を共にした航空機材の冥福を祈ると共に再建日本の航空発展を祈念するのを趣旨として、沖縄戦戦没航空人慰霊等建立期成会が昭和36年に発会し、昭和39年10月31日に完成しています。
そして昭和39年11月1日に除幕式及び慰霊祭を行い、沖縄戦戦没航空人慰霊等建立期成会が解散し沖縄翼友会に改称し、毎年9月20日(空の日)前後に慰霊祭を行うことにすると沖縄翼友会ホームページにありました。

空華之塔

目的の慰霊碑に到着しました。 駐車場からもしここまで歩けば1時間弱はかかると思われるので、慰霊碑に行こうと思う方は園内車両に乗った方がいいと思いますよ。

これから沖縄平和祈念公園に行かれる予定のある方は、自分と関係のない県であっても愛知県の慰霊碑を訪れるといいでしょう。

ここは摩文仁の丘というところで沖縄戦最後の激戦があった場所でもあり、沖縄戦の指揮をとった牛島中将が自決をした場所でもあり、この崖のどこかにある司令部壕で最後を迎えました。
牛島中将のために多くの沖縄住民の方々がお亡くなりになったのではないが、「生きて虜囚の辱めを受くることなく、悠久の大義に生くべし」という考えを沖縄住民の方々には伝達しないようにしていただきたかった。
戦後生まれの戦前・戦中教育を受けていない私だから言えるのかもわかりませんが、この考えから多くの住民が自決という道を選んでしまったのではないかと思います。

案内していただいた方によると各慰霊碑の中で愛知県の慰霊碑の場所が一番景色がいいとのことで、展望台のようになっていました。

一緒に乗っていた方が愛知県の方なのか、愛知県の慰霊碑に止まりました。

次は岡山県青森県の慰霊碑です。 車両で走りながら多くの慰霊碑を撮影したのですが全部を紹介すると相当時間がかかるので、全写真の紹介はやめます(一部私と繋がりのある都道府県は掲載しますけどね)。
多くの都道府県の慰霊碑や各部隊・会社・戦場・個人・アメリカ軍人などの慰霊碑があり、自分が住んでいる都道府県や出身の都道府県の慰霊碑があるか確認したうえで、沖縄戦で亡くなられた郷土の方々の慰霊碑をお参りになるといいでしょう。
全都道府県の慰霊碑があるわけではないとのことで、沖縄へ派兵していない都道府県もあったのか、または慰霊碑を作る組織がなかったとか作ろうとしなかった、作れなかったなど色々な事情もあると思います。

色々な施設があります。

6人乗りの小さな車両で運転者を除いて5名しか乗れず、運転手の方に100円を渡し1日乗り放題でした。

ひときわ高い塔は公園内にある沖縄平和祈念堂です。

もう那覇航空祭は始まっていると思われるが、次に行った場所は同じく糸満市にある沖縄平和祈念公園です。

金城よろず屋よ さらば!

帰宅後まだあったホームページに書いているアドレスにもメールを送ってみましたが届かず、連絡のすべをなくしてしまいました。
店の場所を移転していたらいいのですが、たぶん廃業でしょうね。 沖縄らしい店がまた一つなくなり、航空機部品収集マニアでもある私にとっては非常に残念な結果となってしまいました。

たくさんほしい物がありましたが、圧巻はこのバルカン砲で店内に2基ありました。 購入しようかなとも思ったのですが売却してもらえるかわからないし、かつ値段が高いだろうし、作動できないようにしているのでしょうが銃刀法違反の可能性もあり購入しませんでした。
F-104Jから外された物と思いますが、バルカン砲をたぶん売っていたのは日本でここだけだったのではないでしょうか。
店の前にあった高角砲も当時販売していました。

店内はこのような感じで・・・

次に行った2013年には屋外の物は高角砲を除いてすべてなくなっていたのですが・・・

F-86DやF-104で運用していた70mmロケット弾の模造品なども屋外に置かれていたのですが・・・

T-33Aキャノピーを置いていたり・・・

私が最初に行った2010年にはF-104J(46-8553)を置いていたり・・・

そうです。 糸満市にあった金城よろず屋です。

極度の退役機マニアかミリタリーグッズマニアしかわからないと思いますが・・・

ここですがどこかわかりますか?

正門門柱の・・・

同機の現役時代の姿も掲載しておきます。

フェンス越しの後ろ姿だけでは皆様は納得しないと思うので、以前撮影した写真を掲載しておきます。

LR-1(22016 22019と記入)

ここには沖縄地方気象台跡の説明板もあります。

このようにLR-1の後部を少し見ることができます。

TOP

川崎C-2

〇 申請せずに駐屯地の食堂で昼食を食べた幹部を処分


これは航空ニュースではないのですが、2015年11月17日から27日の間に松戸駐屯地の食堂で申請せずに5回昼食を食べたとして幹部自衛官が処分されたとの報道がありました。
この報道を見てその時はへぇ~と思うだけだったのですが、その報道に対するコメントを見ていくと、幹部は申請して有料で昼食を食べるとのことでした。
これには驚きで、自衛隊は衣食住がタダ(無料)だと思っていたのですが違うのですね~。
コメントによると、駐屯地や基地内の隊員宿舎に居住する幹部以下の隊員の食事は無料だが、駐屯地や基地の外で居住する幹部(階級が尉以上の自衛官)は有料だそうで、だから隊員食堂と幹部食堂が分かれているのでしょうね。
海上自衛隊の艦船乗組員でも幹部は毎回申請して有料で食事を摂っているのかが気になるし、陸上自衛隊の演習時に幹部が食べる戦闘糧食も申請し有料なのかも気になります。
それと、駐屯地や基地で幹部浴場と隊員浴場と別れているが、これも幹部は申請して有料で入浴しているのかな~?
自衛隊は衣食住タダでいいな~とずっと思っていたことが違うことを今知り、大きな驚きと、自衛隊員にならなくてよかったと今は思っています。
まあ私は自衛隊員になっていたとしても、退官まで無料で食事をいただける階級であったでしょうけどね(笑)。

 Aviation N E W S

ANA  B-737-881(JA80ANA)

この機体は後部にWi-Hiアンテナを装着しています。

久々にアドバルーンがありました。

F-15J(02-8919)  第204飛行隊(那覇基地)

瀬長島に着いてすぐにスクランブル機の連続着陸です。
当日は某国が飛行を多くしたのでスクランブルが多かったとのこと。 某国は航空祭があることがわかっていて、イベントでF-15が多く展示などに多く回されている時のスクランブル状況や、スクランブル発進時刻・帰還時刻などを航空祭に要員を派遣して計測していたのかもわかりませんね。

沖縄戦殉職医療人之碑

ひめゆりの塔付近の土地を寄贈された読谷村出身のハワイ二世「儀間真一」さんの顕彰碑

ひめゆりの塔の記

次はひめゆりの塔です。

見学しているこの団体について後でバスガイドさんに聞いてみると、埼玉県の修学旅行の学生さんとのことです。

雰囲気はこんな感じで一周回ることができます。

義烈空挺隊石碑

台湾の塔 碑文

某国と某国は日本と仲良くはなりたくないようなので、台湾とは末永く仲良くしていきたいですね。

特攻之碑

次は空華之塔の左横に建っている石碑で、飛行第十九戦隊と書かれています。
日本陸軍飛行第十九戦隊について調べてみると、明野基地で編成され機種は川崎キ61三式戦闘機「飛燕」で、台湾南部を基地にして沖縄方面への通常攻撃及び特攻攻撃を行ったとありました。
飛燕での特攻もあったのですね。

平和の礎(いしじ)

国籍や軍人、民間人の区別なく沖縄戦などでお亡くなりになられたすべての人々の氏名を刻んでいるとのことで、園内車両の案内の方に「近年に亡くなられた沖縄戦で負傷した方なども刻まれるのですか」と質問すると、「そういう方は刻まないが、原爆を受けて近年亡くなられた方は刻む」と言っていました。
その時は深く考えなかったのですが、帰宅後なぜ沖縄戦ではない原爆によりお亡くなりになった方を刻むのか不思議になり電話で聞いてみると、「たぶん沖縄出身の方で原爆で亡くなられた方を刻むのではないか」との回答でした。
電話をかけたところが公園の事務所だと思われ、「施設ごとに管理者が違い平和の礎は沖縄県の管理なので、詳しいことは沖縄県に聞いてほしい」とのことでした。
「国籍や軍人、民間人の区別なく沖縄戦など」の「など」が気になり、私の祖父は今の北朝鮮で亡くなっているので、もしかしたら刻まれているかなとも思ったのですが、たぶん刻まれていないでしょうね。
国は第二次世界大戦の全戦死者の名前を刻む施設を作っていただくと国民で喜ぶ人が多いと思うのですが、広大な場所が必要になり北海道の大平原しか無理でしょうね。
そういう施設ができるとその街に来る人が増えるので作りたいと思う街もあると思え、国が作ってその街や都道府県が管理すればいいと思うのだがどうだろう?
カジノを誘致するより健全で、国民のためになると思うのですがね~。
某国や某国が反対するかな?

今回行くと建物ごとなくなっており、事前に電話をかけたのですが使われていないとのメッセージがありおかしいなとは思っていたのですが、まさか更地になっているとは思いませんでした。
近所にある食堂の方に聞いてみると1年ほどは店を開けておらず、2か月ほど前に更地になったそうで、連絡先は知らないとのことでした。
ということは2016年10月頃に更地になったと思われ、名護市のオードナンス・藕花(ぐうげ)に続いての閉店となってしまいました。
2013年に訪れた時は御主人とも会えて店内も見させていただき、航空機部品をたくさん置いていたのに残念なこととなってしまいました。

F-104Jのキャノピーや何かわからない航空機部品のような物も置いていたり・・・

店の前にあった高角砲とともに見事に何もなくなり、更地になっていました。

シーサーを撮影し、那覇航空祭に向かうのかなとお思いでしょうが、次に行った場所は・・・

ここで撮影しているとある事件が起こりましたが・・・

詳細を書くのはやめておきますが、こんなことをするようなら自衛隊擁護の人間も自衛隊不信になるでしょうし、行為を百歩譲って許したとしても嘘の羅列は認めることはできませんよ。 猛省していただきたい。

ここに樹木で文字や数字を書いているようですが、何と書いているかわかりません。 下の数字は168かな?

陸上自衛隊那覇駐屯地です。
正門を入ってすぐのところでLR-1を展示しているので、LR-1の現状を確認するため事前連絡はしていないのですが撮影させていただこうと思ったのですが、駐屯地の開放日以外はだめと正門警備の隊員に告げられ、仕方なくLR-1は駐屯地外の公道からなんとか撮影できるので隊員に外から撮影させていただくことを伝えると、フェンスには近寄らないようにとの注意を受けLR-1が見えるところに向かいました。